2024/4/7  週報メッセージ

説教断片  「イエスは生きておられる」 (ルカ24:13-35)

 イースターおめでとうございます。本日はルカ24章の、「エマオへの道」から学びます。

 第一に、二人の弟子たちは、「目が遮られて」(16)、その旅人が何者かがわかりませんでした。彼らは、失意と悲しみにうちひしがれていました。彼らの目は、「偏見、思い込み、誤解」のため、正しいメシア観、御子イエスを理解することができなかったのです。やがて旅人の聖書の解き明かしを聞くうちに、「心が燃える」体験をしたり、聖餐を思わせるようなパンを裂く行為を見て、霊的な「目が開かれて」復活のキリストだとわかったのです。

だれもが神の言葉に触れ、心が燃えるような経験をするわけではありませんが、教会に来るとなんだか心が安らぐ、説教を聞いて心が迫られる、何らかの感動を覚える、…こういう一つひとつの小さな経験を大切にしていきたい。聖書を慕うところにだけ、御霊は働かれるのです。

  第二に、「エマオへ行く道は」、失意と落胆の道であり、命から死へ(滅び)向かう道でありました。それに対して 「エルサレムに引き返す道」(33)は、真の生き方に変えられる希望と夢の道であり、死から命へと向かう道でありました。夢なく、希望なくエマオへの道を歩く、これがわたしたちの人生の縮図でした。

 第三に、この物語では、「イエスは生きておられる」(23)が中心の聖句です。これはルカ自身の心からなる信仰告白であり、証しでありました。ルカは何としてでも、この福音書の読者に「主は、今、現実に、生きておられる」ことを強調しているのです。確かに「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」(ヘブ13:8)。

私たちも日々の信仰生活の中で、「イエスは生きておられる」ことの小さな事実・しるしを探し求めていきましょう。 

(3/31 山本修一牧師説教)